高校20期会

★牧陵会事務局からのお願い

 住所が判明している方には、「牧陵新聞」等の牧陵会活動報告や、同期の幹事の方から同期会開催等のご案内状をお送りします。

 牧陵会では、牧陵会活動への温かいご理解と、活動への積極的な参加をいただくため、宛先不明となっている会員の方々の現住所を確認する作業を進めております。
 このリストをご覧になられたご本人から、あるいは、同期生の現住所をご存知の方は、移転先住所等の下記変更事項を牧陵会事務局までご連絡いただければ幸いです。

《ご連絡いただきたい事項》
 【卒業期】・【氏名(旧姓も)】・【住所】・【電話番号】・【メールアドレス】等
 ※ 卒業期は、「緑高同期会」のページの早見表をご参照ください。

 個人情報を一般に公開することはありませんが、同期会開催のために要請があれば、同期会幹事に提供する場合があります。
 同窓会名簿は、インターネット回線に接続していないパソコンで厳重に管理しており、冊子としての名簿は、平成10(1998)年版以降、発行しておりません。

 宛先不明会員の一覧表は、個人情報保護のため、お名前はカッコ内に1字のみ表記させていただきました。

 牧陵会事務局
  〒231-0027 横浜市中区扇町3-8-6
  ℡045-664-9020
  e-mail  bokuryoukai@gmail.com

宛先不明会員リストを見る


【タスマニア滞在記 番外編2】

PIC31釣

1)Robと釣りに行った。
 Robのところの滞在も10日を過ぎ、翌々日には帰るころとなった水曜日に夕方から釣りに行かないかと誘われた。今日ようやく提出する論文が仕上がったようで上機嫌である。早速50馬力のエンジンの付くアルミボートを車にけん引して出発した。出航場所はClifton Beach.砂浜からの出航だ。普段からここからLaunchingしているようで、手慣れていて難なくビーチを離岸できた。水深はごく浅く2mぐらいからせいぜい6m程度のところを歩く速さ程度でトローリングする。こんな浅いところに魚がいるのかと思うほどだが40㎝くらいの魚が4匹もつれた。名前はオーストラリアサーモンと呼んでいるようだが、サーモンとは全く別の魚で白身の魚である。日本で似ている魚はないような感じである。帰ってすぐに捌き刺身で食したが、脂ものっておらず、身がパサついていてそれほどおいしい魚ではない。Robもわかっているのか、ミンチにしたミートボールのような料理に変えていた。私はオリーブオイルと醤油に漬け込んでみた。このオリーブ漬けはRobの弟の子供の誕生日にもっていき、手巻きずしのネタとして使用し、大評判であった。

PIC32収穫

2) ようやく収穫作業に入る
 Carolineの本命の作物、ガーリックの収穫が始まった。紫系、白系、ジャイアント他数種類のニンニクを育てている。そのうち、紫ニンニクの収穫を手伝った。場所によって土質の違いで育ちにも差があり土が柔らかいところの方が大きく育っていた。日本と同じく、収穫後は日陰の風通しの良いところで乾燥させる。広い場所が必要なのでSue祖母のところを借りることになった。去年は涼しい日が多く1月まで乾燥していたらしいが、今年の25度を超える日が長く続く年は相当早く乾燥がすすむだろう。私の出発する当日ぎりぎりまで作業は続けられたが、かなりの畝は葉が枯れるまでに至らず、収穫はすべて終えることはできなかった。 

PIC33家

画像の説明

3) アマチュア無線のこと
 今回アマチュア無線がらみでは2つほど話がある。まず、タスマニアで会う人物は3人いる。2人はホストファミリーだが、あと一人は知り合いの友人で87歳の一人暮らしをしている日本人の女性である。彼女に連絡をしても返事がない。消息も不明であるので行く前にそこで生活をしているのか、確かめておく必要がある。そこで登場したのが近くに住むアマチュア無線の方に連絡をして様子を見に行ってもらったのである。すでにその方はハムの活動はしておらず無線機は見ることはできなかったが、かつて無線小屋として使っていた小屋(写真)がいまだにあり、中をのぞかせてもらった。彼は90歳ながら車を自由に運転していて、私を市内に送り届けてくれたり、大変親切にしていただいた。交信証QSLカードの交換もさせていただいた。  
 一方もう一つの話は最初にお世話になったRusselである。彼は2等航海士だったことは前に話した。電気系統に強く自宅のワークショップには修理中の船の無線機器やら10Ghzのデータ用送信機やら所狭しと置かれている。あるとき、自宅の書棚を見せてくれた。そこにはICOMやYAESUのトランシーバーがきれいに整理され保管されている。また、私が欲しくてたまらなかったオートアンテナチューナーがSGC,ICOM,JRCと各種そろっており、敷地の中にもロングワイヤーのアンテナが張られていたのである。これらは船とのやり取りに使うようで、アマチュア無線のライセンスはとってないということだった。
 街中や車で移動している間も屋根からアマチュア無線と思われる大きなアンテナが立っていないか、見ていたがそのような場面には出くわさなかった。VK7KSによると、タスマニアではHF帯は以前ほど盛んではなくVHFがどちらかといえばやっているとのことだった。

PIC35H小屋

PIC37石積2

PIC36石積み
センスが問われる石積み

4) 最初のホストファミリーでの作業
  Russelのところでの作業は主に温室の建設の手伝いだった。温室は鉄骨製で中古のものである。まず基礎作り。4mx6mの長方形の温室は傾斜地に立つ。周りは石組みである。ここHastingsは地面を掘れば必ず石が出てくる。それらは無造作にところどころに集められている。その中から外周を形よく石積みしていくのであるが。まず、その石を運び出す作業がきつい。一輪車で何回となく運ぶが一回に100キロを超す重さとなり、それが外周のみでなく温室の中にも石をくまなく敷き詰めるのであった。水平を取り、墨出しもかなり正確に行われ、鉄骨のフレームを乗せた時もほとんど狂いがなかった。Russelの几帳面さと今までの家づくりの経験などがよくわかる結果となった。

PIC38林

PIC39ムシクイ

PIC40鳥
オーストラリアムシクイというらしい 図鑑より

5) ワラビー他
 Hastingsではワラビーは害獣である。夜行性で夕方になるとそこここに出没してくる。草食系なので野菜畑などは柵をしないと根こそぎ食べられてしまう。そこで野菜、果樹などを栽培しているすべてのエリアは電気柵で囲われている。着いた直後は珍しく可愛い感じもしたが、あまりに多くいるので、見慣れると大きなネズミが出てきてるような気がしてあまり良い気はしなかった。これは前日雑草を刈って残したところ昼間にそれを食べに来た時の写真である。
 それ以外にはハリモグラ(Echidnaイキーデュナ)に遭遇した。これはHastingsでもなかなか見られないとのことだったが、写真は後ろ向きで全体像はよくわからなかった。ので別のところから写真は拝借した。
 鳥類は名前もわからず、素早いので写真は撮れなかったが、地面を素早く走るWild Hen(野生の鶏)、鷲の一種、固い木の実を食べにくるインコの種類、青い羽根の小鳥などなど。朝の目覚めはうるさい雄鶏の叫び声を打ち消してくれる、名前のわからない美声の鳥たちに癒された。

PIC41魚1

PIC42魚2

PIC43池

PIC44池
ビオトープだけでは藻の繁殖は抑えられないプール

6)CSIROのこと
 オーストラリア連邦科学産業研究機構の略称でサイロと呼ばれている。2番目にお世話になったRob/Catrolineの奥さんの方の勤務先である。彼女はその中で州都ホバートにある海洋研究所で海洋環境の仕事をしている。滞在中に彼らの子供たちとともにその研究所にお邪魔した。同僚が絶滅危惧種であるHand Fish の産卵に成功させたということで、その貴重な機会に家族も教育の一環として見学させていただいたのである。
 何でもこの魚は泳ぐより歩く方が得意なだけに大きな魚の餌食にされる可能性が高いのだろう。非常にかわいらしい表情で日本の水族館で展示されればすぐさま人気者になるだろう。
 このような経歴の家族なので自宅にはビオトープを作り、その水を循環させてプールの水に利用したり、トラウトの飼育にも応用しているのであった。

2018/7/21
記事作成者 高校20期 松澤俊朗
掲載責任者 高校23期 宮本太郎
                   


【タスマニア滞在記 番外編】

PIC21小屋

1)筆、墨、半紙
 今回、お世話になったRob/Carolineのところの12才のBeaが学校の課外授業で日本語を習っていることを聞いた。そんなことで出発する前に急きょ書道の道具を買いそろえた。書き初めにも使う太筆に通常サイズの筆を用意した。これが意外に功を奏し、先に訪れたRusselのところでも役に立つことがあった。Russelは貸別荘を持っており、その名前をOyster Shackと名付けていた。つまり牡蠣小屋という意味である。そこで木片に筆で「牡蠣小屋」のサインを贈呈してみた。

PIC22お悔やみ

PIC23習字1

PIC24習字2

 またさらに大変奇遇な場面があった。Russelの住んでいるHastingsは日本人など住んでいないだろうと思っていたが、日本人夫婦が近くに住んでいるという。ところが2人ともに癌を患っていて、その奥さんが私がHastingsを立つ数日前に亡くなったという。Russelの友人であるRobertはその夫婦とも親交があり、葬式、特に火葬の手伝いを頼まれたらしい。なんでも個人の遺志で自宅の敷地で火葬を希望したとのこと。いくら田舎でも火葬する場合は火葬場で行うのが普通なので、いくら敷地は広く、薪はいくらでもあるとはいえ困惑しているのはよくわかる。それでも火葬はうまく終わったらしい。私は奥さんが亡くなったのを聞いて、同じ日本人ということでご主人あてにお悔やみの文を書いてRobertに託した。帰る日にRobertからRusselにあてたメールでご主人がToshiに感謝している旨伝えてほしいとのことだった。その際も筆は役に立ったのである。
 もとよりRob/Carolineの子供たちの書道や日本語のレッスンで使う目的だったので最後にそのことを少し写真で示したい。
 これで少しでも子供たちの日本語への興味が深まればうれしい。

PIC25料理1

2) 食事のこと
 Russelのところでは奥さんのVanがヴェトナム人だと話した。しかも料理が上手で毎日種類を変えて食卓を楽しませてくれる。ヴェトナムの料理はあっさりで、麺類も多く使い野菜も盛りだくさん入れてくれる。
 ただし鶏の脚がもろに出てきたのには参った。単に茹でただけのおつまみのような食べ方なのだが、歯が悪い私にとっては食べにくいこと甚だしい。Russelが帰ってくる前に食べてしまう。彼はこれが苦手のようだ。
 一方Rob/Carolineの方は典型的なオーストラリア人の食事かなと思う。共稼ぎの為、食事には一切手をかけない。子供たちもそれに対して文句を言わない。学校へ持っていくお弁当も自分たちで詰めている。パンと果物、ビスケットなどに水だけである。栄養もくそもない。あまりのひどさに食事の手伝いをしだした。味噌汁に、チャーハン、餃子、寿司、パンなど自分の食べたいものを作りふるまった。特に餃子は息子のEddieの大好物らしく、作ってくれと頼まれて作ったのだが、ドウから作ったために25個作るのに2時間ほどかかってしまった。家でも作ったことはほとんどないのだが、今はインターネットで瞬く間に作り方がわかり、ありがたいものと思う。料理はほとんどしないとみたが、調味料の棚には米酢、すし酢、甜面醤、魚醤、焼き肉ダレ、濃い口甘醤油、ほか我が家にもないような調味料が並んでいる。以前ここに滞在したアジア系の人が残していったものと思われる。

PIC26料理2

PIC27料理3

PIC28料理4

PIC29料理5

PIC20 5名テーブル

2018/7/21
記事作成者 高校20期 松澤俊朗
掲載責任者 高校23期 宮本太郎
                   


 『牧陵新聞第35号(2018年7月9日発行)の青春スクロールに「タスマニア滞在記」が紹介されました。
 全文を高校20期のページにアップロードしましたので、ご興味のある方はご覧ください。』
--------

【タスマニア滞在記】

PIC1飛行機

1)スタートからトラブル
 年金生活の68才の中高年の男が思い立ったようにタスマニアに旅立ったのは日本の秋も深まる10月の下旬のことである。タスマニアに直接行く飛行機はない。シドニーかメルボルンで乗り換えるのが一般的である。久しぶりの海外旅行であるがオーストラリアは初めての国となる。今回は観光目的の旅ではないので旅行ガイド等で下調べしていくこともしなかった。それがそもそもの失敗の原因であった。
 まず、羽田空港に出発時刻の2時間前には着いて余裕で搭乗手続きを済ませるはずが、職員よりETAの申請状況を聞かれて、それが何か理解できなかった。職員によるとアメリカ、カナダ、オーストラリアに行く場合はETA申請して許可されなければ出国も不可能とのこと。もし拒否されたら今回の旅行は羽田空港に来て終わりということになる。顔面真っ青になりながら必死にスマホの画面から申請に必要な情報を入れ込むことに。すべての記入は一字一句正確に記入しないとだめということでANA職員に付きっきりで大文字入力、スペースの有無など微細にチェックしてもらいながら、なんとか申請が受理されチェックインすることができた。やはり初めての国に行くときは(特にツアーなどでなく)VISAの関係や入国申請条件など基本的なところは押さえておかなくてはいけないことを肝に銘じることとなった。
 飛行機の出発は夜10時である。夜間飛行のため数時間は暗闇の中を飛行する。ひたすら寝ようとするが夕食の準備ができ配られてくると、そこは卑しい根性が出てきて食べざるを得なくなる。主翼の見える窓側の席からは飛行灯のような閃光が見え出し、それが何かわからず徐々に上の方から照らされ空が明るくなるにつれ、それが太陽だと気づいたのはオーストラリア大陸が眼下に見え始めた頃であった。
 シドニーは20度を超える初夏のような陽気だ。周りはTシャツや半そで姿に半ズボンなどカジュアルな服装で週末の旅行をしようとしている人々で混雑していた。目的地のHobartには国内線のVirgin Airに乗り継がなくてはならない。トランジットの時間が4時間以上あるのでその間にオーストラリアドルに交換することと、携帯電話が使えるようにSIMカードを購入しておく。Vodafoneが1か月20ドルと安いので迷わずそこにする。空港の食事はどこでもそれほど安くはないがここで食べておかないとHobartには午後4時着なので、食いっぱぐれる恐れがある。クロワッサンにコーヒーで済ます。シドニーからHobartへは2時間弱の飛行時間である。Hobart近くになると急に雲が出てきて揺れだした。空港は原野を切り開いて作った素朴な田舎の空港である。ここはさっさと荷物を取り出し市内に出発。市内への小型のシャトルバスを探し宿泊先の住所を告げる。料金は21ドル。

PIC2野菜

2)Hobart市内
 タスマニアの人口は約50万そのうち州都Hobartは20万、4割が集中する大都市だ。といっても中心街はそれほど広くなく港から山に向かって広がっていく地形である。やはりイギリスの影響が大きく建物も町も落ち着いた佇まいである。たまたま休日に着いたので街中の通りではサンデーマーケットが開いていた。野菜売り場が人気で種類も豊富、アジア系の人が作っているようだ。また私の買って帰りたい蜂蜜も多く売っていたので、つい手が出てしまった。重いので最後に買おうとしていたのだが。

PIC3 3名

3)ホテルのこと
 宿泊先のBrunswick hotelはバス停から4~5分のところにあった。バックパッカー用ホテルでなんと一泊2500円足らず。もちろん食事なし、さらにトイレ、バスは共有。共同キッチン付きというのはチェックアウトの前の夜に気が付いたため使用せず。
 4人部屋2台の2段式ベッドの下の段を希望。1台の下には先客がいて挨拶する。Benと言ったがちょっと胡散臭い感じで昼間から寝ている。しかもいびきの音が半端でなく夜が末恐ろしい。案の定ほとんどいびきをかきっぱなしで、うるさくて寝られない。本人は全く気にもせず眠りこけている。朝が早く来てほしいと祈るばかりだ。フロントが開くと同時に猛烈に抗議する。幸い2つ隣の部屋が空いていたので早々に引っ越し。するとBenの隣に宿泊していた中国人のカップルも同じように隣のいびきがうるさくてクレーム。隣の部屋でうるさいのだから同室にいた私は何と不幸だったのか。中国人とともに大いに不幸を慰めあう。この中国人はなかなか良い二人でその夜、ようやく存在に気が付いた共有キッチンで作ったビーフンを一緒に食べないかと誘ってくれた。2人は夫婦でもなくどんな関係かよくわからなかったが、タスマニアでアルバイト先が見つかったのでそこで少し働いて2ヶ月ほど滞在の予定と言って次の朝私と同じようにチェックアウトしていった。
 かつて20代の頃リュックサックを背負って、今はすでに廃止された横浜からロシアの最東端の町ナホトカまでの定期航路の船を使い、さらにシベリア鉄道を経由してヨーロッパを旅したことを思い出す。その頃宿泊はユースホステルがメインで、自作のシーツを縫い合わせて物を持っていくことがルールで、世界中の若者がそうやって旅行するのが流行っていた時代だった。今から45年も前の話である。

PIC4ストーブ

4)いよいよ滞在先のHastingsを目指す
 Hobartから1時間40分ほど南に下ったところにHastingsという町がHost Familyの住むところである。Hastingsまで行くバスは無く手前のDoverが終点になっていてそこに迎えに来てくれることになっている。そのDoverですら町の中心といっても何もなく人気もわずかに2~3人の学生らしき子がバスを待っているのみであった。
バスは日本の路線バスよりも正確に時刻通り9:35に着いたが、肝心のホストファミリーのRusselが現れない、15分ほどして現れたのは60近い中肉中背の白人だった。 挨拶もそこそこに荷物をトランクに押し込み、車はTongue Rdと書かれた脇道に入った。179と番地が描かれた木のポールがRusselの住所である。傾斜のある土地に3つの家屋が見える。案内されたのはその中で、一番小さな掘立小屋のようなシャックと呼ぶような家屋であった。中は10畳くらいの部屋に8畳くらいのサンルームそこにバスタブが置かれている。この梯子があり、上がると寝場所がセットされている。明らかに手作りということがわかる、開拓時代の西部劇に出てくるような素朴な木造小屋である。ここが2週間私の住処となる。 

PIC5薪

5)ストーブ用薪の話
 ここHastingsは入り江に面した穏やかな気候であるが、11月(日本では5月ごろ)というのに朝は3~4度まで下がることも珍しくない。雨が降るとなおさら寒くなる。そこで薪ストーブ用の薪はこの時期でも欠かせない。
 薪の原料となるのがここ一体に原生林として成り立っているユーカリの木である。太いものは直径1メートルを超す。そういう大木が無造作に切り倒されて薪となるのを何十本とストックされている。
 薪の長さは37㎝が基本だ。ストーブに入れやすい大きさ、割った形状は三角形が多いが根元の堅いところはねじれていたり、きれいに四角形になっているものやいろいろである。重さもまちまちだが重くても3キロ程度かと思われる。これを木の箱に150本ほど詰めてトラクターで薪小屋まで運ぶ。山のように積まれた薪の塊から箱に並べ、薪小屋に着くとそこからさらに天井まで詰めなおすことが日課のようになった。
 薪ストーブは効率が良いが夜通し最小の火にしておけば6キロぐらいの薪で十分だ。ユーカリ系の木は適度に脂分があり、広葉樹でもあるので燃料には最適の樹種となっている。5~60年でかなりの大木となるので30ヘクタールもの広大な土地を所有しているRusselにとっては持続可能な永久資源であるはずだ。すでにカットした薪しか見ていないので1mも太さの、長さも10mを超える巨木をどう処理をしているのか見てみたい。まずチェーンソーで短く切り大きなトラクターの動力を使って何分割にするのではないかと思う。すでに何年か寝かされている木なので十分に乾燥しているように見える。
 この薪はストーブ点火の最後に入れ込むもので、その前に枯れ木の枝などに火をつけさらに少し太めの小枝をくべて、最後に太い薪を投入する。薪が燃えてトーブの中でめらめらと赤い炎を出しているのを見るのは飽きないものだ。いかに最小限の材料で火おこしをし、薪を燃やせるかが一つの楽しみになっていった。
 ストーブの上はクッキングコンロとしても重宝した。お湯は始終沸いているし、空気を最大限に入れるとオーブン並みに熱くなり、放し飼いの鶏の卵でプリンを蒸した時にはレシピでは50分蒸すところを半分の25分で出来上がるほどの火力だった。

PIC6ニワトリ

PIC7卵

PIC8ヒナ

6)鶏の話
 ここでは放し飼いで約20羽の雌鶏を飼っている。そして1羽堂々とした雄鶏がいる。こいつがまだ夜も明けきらないうちからコックドゥドゥデュと雄叫びをあげ始める。本当にコケコッコーと鳴かないところがなんとも外国の鶏らしい。ここの卵は有精卵がほとんどなので暖かくしておくとそのうちヒナがかえる。今日もその瞬間を見た。卵が少しくちばしでつついて割れはじめ中からぴよぴよと可愛い鳴き声が聞こえる。孵ったヒナは早速雌鶏に渡され育てさせる。飼育役の雌鶏を覗くとなんとすでに6羽のヒナがおなかの中で温まっていた少し大きくなったヒナは別のケージで育てられる。こうして約2年ほどの採卵期間を経て処分される。できるだけ餌も食物残瑳を与えコストパーフォンマンスを良くしようとしている。配合飼料は結構高価なのでそればかりだと合わないからだ。有精卵は1ダース4ドルで限られた定期購入者に売られている。1個30円ほどである。最初のうちは卵が新鮮で黄身の厚みが半端でない濃厚な味を貴重品のように味わっていたが、毎日あるとどんな高価な食材でも飽きるものだ。贅沢と言われれば仕方がない。
 鶏の交尾は瞬間芸だ。雄鶏が羽ばたいたと同時に雌の上に乗り交尾する。その時間は2秒ほどだ。毎日20羽ものメスを相手にするのにそんなに時間をかける暇はないのかも知れない。餌を食べるときの順序だが雄鶏が最初に食べるわけではない。メスが食べているのを見ながら遠慮しがちに残ったものを食べる。意外に紳士だ。夕方暗くなると勝手に鶏小屋に帰る。その小屋の鍵を閉め電気柵のスイッチをONにして鶏の番は終わりとなる。

画像の説明

7)Helpxのこと
 タスマニアでの目的は観光ではない。Helpxというヘルパーを求めている農家などが、そこで労働の代わりに宿泊、食事を提供してもらうヘルパーを結びつけるネットワークで、オーストラリアやニュージーランドなどで盛んな、どちらかといえば安く旅行をしたい若者向けのシステムである。滞在先はHelpxに年会費を払って閲覧し、適当と思われるホストファミリーと個人的に連絡をしあいながら受け入れ先を決めるというものである。WOOFSと違うのはその機関から斡旋されるのではないという点である。
 タスマニアに決めたのは単にオーストラリアでは広すぎるし、あまり一般的でない方が面白いかもという適当な発想である。受け入れ先を何軒か選びその中から返事が来たところに決めた。州都Hobartに近い方が便利だろうと思ったが最初にOKをくれたところがHastingsに住むRusselファミリーであった。そこで2週間過ごした後はHobart近郊と思われるCarolineのところになるが、ここはこれから行くところなので、詳しくは行ってみないとわからない。Helpxのページを開くとヘルパーが必要な時期、人数、労働内容、時間、宿泊情報、家族状況、農家の形態、それから今までにそこで働いたヘルパーからの報告などが記載されている。それらを参考に面白そうなところをピックアップしていくのである。
 時期は夏である12月から2月ぐらいまでがヘルパーの方としても希望が多いそうだ。例えばヨーロッパの若者が冬の休みを利用して暖かいオーストラリアを旅行したいという、しかも安く。ほとんどの受け入れ先は1日4時間~5時間の様々な作業を条件としている。そのあとは自由時間となる。食事は3食付。宿泊場所はRusselファミリーの場合独立した家屋(バス、キッチン付き)を提供してくれた。食事は母屋で取るが私は途中から朝食は自分のところで一人で取るようにした。やはり3食一緒だと会話も面倒だし、好きな時間に食べたいというのもある。

PIC10家1

PIC11家2

PIC13家3

8)ホストファミリーのこと
 夫婦で切り盛りしているRusselファミリーは主人はオーストラリア人60代、奥さんは見た目は40代のヴェトナム人で料理が得意で日本人の口に合う味付けだ。Russelは何しろ生活していくうえで必要なものは大概は自分で作るか、壊れたようなものを修理して使うか、大変器用な人間でもともとは船の2等航海士だったらしい。そんな経験か電気のことも詳しくソーラーパネルによる発電システム、配電、船の無線設備なども修理や取り付けの依頼があった。また家も独力で建てているので木工所のような設備もあり驚くほどの知識や技術を持ち合わせている。

PIC14ボート

9)ボートで釣りに行く
 土曜日は終日休みとなり、友人のジョンの船で釣りに誘ってくれた。ジョンの家の庭に船は置いてあった。かなり大きなもので225馬力のHONDAの船外機が付いておりサブに9.9馬力が小さく見える。Toyotaの車に牽引されSouth Portの船を下す専用スロープから出航。ここはオイスターを取りに来たところで、また友人のロバートが近くに住んでいるところに近く見慣れた場所である。
船はスピードを上げて一直線に沖を目指す。30分ほど走ると小さな無人島が現れ印として10メートルほどの石が積み上げられている。水深15mほどに網を入れだした。彼らのやり取りは英語が早すぎて聞き取れない。すでに最初からの予定で網を入れるつもりだろうが、いったい何をするのかと思う。漁師でもないのに勝手に網など入れてもよいのか?それは刺し網で2か所に入れ終わると、全速力でそこを離れそこから10分以上深さ50mのところで止まり釣り開始となった。餌はサバやアジの切り身をマグロを釣るような大雑把な仕掛けに引っ掛けて放り込んだ。狙うはマゴチである。英語名King Flat Head.
 風が強まり、あたりもないがたまに外道が釣れる。ホウボウのような魚であるが背びれが大きくとがっておりそれに刺されると大変なことになると、さっさと捨ててしまう。本命のあたりがないとわかると、船長はすぐ場所を変え、私には整備されていないガタガタのリールで50mのところから巻き上げるのは容易ではないのに、それを何度も繰り返した。
 風も強く寒さを感じ波も出てきて船酔い気味になり、本命が釣れなくてもどうでもよくなってきたころ、ようやく全員竿をあげることになった。すでに出航して4時間は経っている。それからさらに朝網を入れていた場所に戻り、網を回収しだした。網にはわずか1匹の黒い魚とサメが掛かっていただけだった。出航場所は入り江の奥深くとなっているため波は極めて穏やかである。Russelは自分が釣った外道の熱帯魚のような鮮やかな青と赤の混じったような40㎝ほどの魚を持ち帰った。オーストラリア人なら食べないがヴェトナム人のVanさんならうまく調理するだろう。その夜はその魚を油でいためニンニクと醤油のような味付けにしたが、白身で大変おいしかった。

10)Hastings最後の日
 最後の夜、夜中にトイレに起き外に出ると満天の星空である。真上にかすかに白っぽい筋のようになっているものが見える。日本ではプラネタリウムでしか見たことのない、いわゆる天の川英語でMilky Wayである。見える星の数も半端でなく、周りにいかに明かりがなく、空気がきれいなのかをわかる。
 いよいよ出発となった。Vanはわたしのためにヴェトナムのスウィーツをお昼用に作ってくれた。彼女の働くTavernでお別れし、バス停のあるDoverでRusselとも別れた。ここにはいつでも戻ってきていいよ、いつでもwelcomeといわれ、また来ようかなという気になる。

PIC15 2名

11)Hobartに戻る
 2週間前に初めて着いてホテルにいたときはまだ冬支度が必要だった。今は何とみな半ズボンに半袖か女性はノースリーブ。気温も20度をとっくに超えて夏の日差しだ。次のホストファミリーと連絡が取れたのはぎりぎりの前日で、しかも当日は夕方までは仕事で迎えに来れないという。重いスーツケースのまま動き回れないので以前泊まったホテルに一時荷物を置かせてもらい、時間つぶしをすることとする。 あまり乗り気ではないが良子さんを訪ねた。案の定、広島女学院英文科卒業が何回も出てきて、私の滞在についても何回も同じ質問を繰り返すことに嫌気がさしてきた。こんな状態で一人で生活させるのは危険かもしれない。娘がカナダから今日帰ってくるといっていたので確認すると、明日になったと言っているが、確かなのか?訪問中に定期検診に訪れた看護師も老人ホームの見学を勧めた。
 タクシー往復4000円ほどの出費で市内に戻り、Woolworthにてランチおよびスイーツを探す。ホテルに戻ると偶然にも以前同室だった中国人に出会う。彼女は一時期農家で働いていてこれからメルボルンに行くといって別れた。

PIC16 5名

12)Carolineとようやく面会 Reid
 ホストファミリーのCarolineとは約束の5時より20分ほど過ぎたころに会うことができた。40~50代の白人女性で標準的な英語を使う。
 20分ほど走ったClarenceという地域に入った。周りは広大な敷地の中に馬を飼っているところが多く、余裕を感じさせる景色が続いている。Carolineの家はそんな環境のところにあり家の大きさも平家ながら300㎡を超える大きな家だった。ゲストルームが私の部屋となる。バスタブはないがトイレが付いていることが何よりである。家族は40代の旦那と10歳の男の子、12歳の女の子の4人家族である。旦那の名はRob、男の子はEddie。女の子はBea(Beatriche?)、タスマニア原産のステイリッシュロングヘアードマウンテンドッグのFagus。
 Robは地質学者、Carolineは海洋生物学者の学者一家である。5年前にここに引っ越してきたそうだ。すぐ近くにRobの母親が住んでいて、子供たちはよく祖母を訪ねていくようだ。ここでの最初のお手伝いは皆の朝食作り単にフレンチトーストを作るだけだが。その後子供たちの学校へ通うバス停までの見送りとなった。約1キロほどの距離があるので朝の散歩には最適だ。旦那と犬がお供した。
 ここのホストファミリーは多くのヘルパーが滞在しているようで、私が来る前日に出て行った中国人がいたように、州都にも近く便利な場所なので人気がありそうだ。滞在者が残したノートには日本人の名前もあった。 
今日の作業はフェンスにゲートを付けることだった。車で30分のところにある巨大なホームセンターに向かった。3mの長さのゲートを買う。そして牽引してきたトレーラーに細かい砂利を買って帰る。
 作業は気温30度を超える暑さの中で汗まみれとなりながら、何とか取り付けが完了。ワラビーや野ウサギが野菜を食べてしまうのですべてフェンスで囲まれている。Russelと違うのは電気柵を設けていないことである。たぶん子供がいるので危険だからだと思う。
 この暑さで子供たちはプールで泳ぎ始めた。水の循環システムを利用してビオトープを作りそこからの水をプールにも流しているので塩素などは使わない。多少藻が底についているが気にしない。その水はまたトラウトの水槽の水にも利用されている。外側から魚は見られないが釣ってきたトラウトを育てているらしい。

PIC17コンサート

                
13)コンサートに誘われる
 昼間の作業も一段落し、プールサイドで子供たちの面倒を見ていると、夜のコンサートに誘われた。場所はホバート港のすぐ近くにあるコンサートホールである。Caroline、Bea,私にCarolineの友人の子供の4人である。金曜日の夕方ということもあり、港近くは駐車スペースが全くない。Carolineの勤務先のCSIROの駐車場に止めることになった。海洋生物研究所なので桟橋横にある。
 コンサートは7:30から始まった。20人近くの奏者たちが競い合い、今日がそのファイナリストたちの最後の審査となる。選ばれたのはクラリネット、バイオリン、ダブルバスの3人であった。ともに素晴らしい演奏を聞かせてくれたが、コントラバスがあれほど高音域の演奏が可能かというほどで素晴らしいテクニックだった。まるでバイオリンからビオラ、チェロに至るような繊細な音を出すかと思えばバス特有の重厚な低音域まで自由自在に弾きこなした。私が感激したニュージーランドの22歳の若いバス奏者が優勝となった。バックのTSO(タスマニアシンフォニーオーケストラ)の演奏もよかった。TSOのバイオリン奏者の一人がBeaのバイオリンの先生とのこと。

PIC18バイク

PIC19砂浜

14)Seven Mile Beach
 Carolineの家から2キロほど離れたところに名前の通り10キロにも及ぶビーチがある。今日はそこまでCarolineのマウンテンバイクを借りてサイクリングをすることにした。ビーチはサンゴが長い年月を経て砂状になり細かいきれいなアイボリー色の砂浜を形成している。その証拠に白化したサンゴがそこここにみられた。
 穏やかな波で海水浴にはもってこいの砂浜だが泳いでいる姿は見られなかった。それどころか週末の土曜日だというのに人影もまばらであった。日本では考えられない人の少なさだ。空港からほど近いのか定期的に着陸姿勢の旅客機が降下していくのが見える。帰りは上り道となりきつくなった、覚えていたはずの帰り道を間違えて一本前の道を曲がってしまったようで、サイクリングをしていた人に正しい道を教えてもらい、何とか帰り着いた。国際免許も取らずに来たので車を借りてどこかに行くこともできず、一人で出かける機会がなかった今回の滞在で唯一のツーリングとなった。

PIC20 5名テーブル

15)寿司ディナーのこと
 Rob/Carolineの家から歩いて5分ほどの場所にRobの母親が住んでいる。今日はそこで寿司づくりをすることにした。米はHobartまで買い出しに行ってもらい、生魚を食べられないBeaたちのために、照り焼きビーフ用の牛肉も頼んだ。生魚は冷凍してあったサーモンを使う。予行演習ではサーモンは脂がのり大変おいしかった。この鮭はRobが釣ってきたものを保存してあったものだという。炊飯器がないので火加減が難しい、IHのレンジも火力が強くおこげができてしまう。それ以外の具材はズッキーニ、ニンジンにアヴォカドディップを付けて手巻き寿司にする作戦である。午前中から黙々と一人で4合の寿司米を巻きずしと手巻きの準備に取り掛かり、ようやく完了したのは3時を過ぎたころだった。
 Robの母親は75才で87歳になるstep fatherの二人暮らしだ。5エーカーの土地は2人には広すぎるほどだが、昔は乗馬のための馬を飼っていたらしい。畑も旅行好きの2人には手がかかりすぎるため今はやっておらず、小綺麗に手入れされた庭には大型のカンガルーが顔を見せている。
 母親の方はスキーで北海道に何回か言ったことがあり、生魚にも慣れていてサーモンの巻きずしも全く抵抗がない。4合の米はあっという間に底をつき寿司パーティーも無事終了した。

16)最後に
 今回RusselとRobの2か所にお世話になったわけだが、その生活スタイルには相当の違いがある。Russelはかなり辺鄙なところに住んでいることもあり、ほとんどすべてのことは自分でしてしまう、食料もかなり自給できる。かたやRobは奥さんとともに共稼ぎ世帯であり、小学生の子供もいる。従って畑や生活そのものも都会的である。自分で時間をかけていろいろなことをやるよりは、お金で買ってしまった方が手っ取り早いという考え方である。ヘルパーへの対応も差がある。Russelは自分の考えがあり、単純作業、力仕事はヘルパーにやらせる。一日数時間は労働する。 一方、Robはこちらに任せきりの状態だ。たまたま自分の仕事が忙しく構っていられないのかもしれないが、奥さんのCarolineが庭仕事を仕切っている。共稼ぎの為、畑にかける時間は限られ、畑は雑草だらけになっている。新しく植え替えたイチゴやトマトは何と古いバスタブに砂利、コンポストなどを入れたものをベランダに置き栽培しているのだった。
 たまたま、両極端な生き方をしているファミリーに出会ってよかった。どちらか一方では偏った見方で終わったかもしれない。どちらが良いというわけでなく、ライフスタイルの違いということだ。それにしても、タスマニアの人々の素朴な人柄、やさしさに触れられた1か月であった。          
―番外編に続くー

2018/7/20
記事作成者 高校20期 松澤俊朗
掲載責任者 高校23期 宮本太郎
                   


20期卒業50年同期会の開催

20期は昭和43年に卒業し、今年3月で卒業後50年を迎えた。これを機に4月22日桜木町駅からほど近い「ナビオス横浜」で同期会を開催した。恩師の田頭先生、佐久間先生、また牧陵会から池田会長の臨席を賜り、総勢109名での宴となった。50年ぶりに再会する同期生もおり、胸の名札を確認しながら高校時代の懐かしい思い出を語り合い、また近況、孫、健康、介護・・と会話が弾んだ。今回は特別に同期の整形外科医・近藤泰一君の「健康寿命、ロコモ予防」についての特別講演も行った。卒業写真のプロジェクター投影も行い、盛り上がった宴会もあっという間に3時間が経過し、全員での校歌斉唱後、2年後の「古希の集い」にまた元気な姿で再会できることを祈念して、宴を締めた。
画像の説明

掲載日 平成30年5月13日
記事作成者 竹前 栄男(高20)
掲載責任者 池田加津男(高21)

卒業50年記念同期会のご案内

光陰矢の如しと申しますが、はやいもので私達が緑ヶ丘高校を卒業してから
この3月で50年の月日が流れようとしています。
これを機に、下記の通り記念の同期会を開催し、恩師を囲みながら旧交を温め、
懐かしい思い出や今後の夢等々について、楽しく語り合いたいと思いますので、
是非とも友人お誘い合わせの上、ご参集願いたくご案内申し上げます。
なお、準備の都合上、3月25日(日)までに出欠の連絡をいただきますよう、
よろしくお願いいたします。

日 時  2018年4月22日(日) 午後1時~4時
場 所  横浜国際船員センター「ナビオス横浜」(前回と同じ)
     〒231-0001 横浜市中区新港2丁目1-1
     TEL 045-633-6000 FAX 045-633-6001
     https://www.navios-yokohama.com/
会 費  8000円
     キャンセルの場合は4日前までに必ず事務局に連絡願います。


画像の説明
・「桜木町駅」から徒歩7分 ・みなとみらい線「馬車道駅」から徒