先輩が残した「戦時の三中」

【高15期 榎戸 隆】

一八会会報 一八会20220625_0001

家の書棚に「一八会会報」という冊子が埋もれていたのを見つけました。150ページ近くもあり装丁もしっかりしているので、冊子というより「本」と言った方がいいかも知れません。表紙にあしらわれた「國史通記」「論孟鈔」「中等化學教本」といった教科書が、古き時代にいざないます。
奥付には昭和51年(1976年)「横浜三中一八会」の編集発行で、「卒業30周年記念号」と記されています。大戦末期の1945年卒業の中学18期の先輩方が残した足跡の記録でした。
高校15期の私にとって、三中時代は霞の彼方にあり、校史の中でもいわば「紀元前」の世界です。その私の書棚にどうして中18期の会報があるのでしょう? その謎解きにちょっと頭をひねりました。
私は20年ほど前に山梨で古家を手に入れ、東京の家と往復しながら米作りを続けてきました。しかし昔ながらの農法に体力が追い付かなくなり、昨年末で山梨を引き払いました。
引っ越しの際に見つかった校歌のソノシートについては昨年10月、この同期会サイトで披露しました。「一八会会報」はその後、引っ越しの続きで本の整理をしていて発掘したのです。
病気で中退した兄は卒業していれば高9期のはずですが、それ以外には親族に母校の卒業生はいません。三中、三高となると全く縁遠いのです。でも会報を繰った末に奥付を見て膝を打ちました。発行された年、私は新聞記者としてたまたま横浜支局に勤務していたのです。恐らく報道関係へも配布したうちの1冊が手に入ったのだと思います。
(ここで思い出したのですが、神奈川県政を担当していた当時の県総務部長は陌間輝さんという中13期の方でした。陌間さんはのち副知事)
いずれにしろページを開いてみましょう。まず目に入ったのは1975年秋に熱海の伊豆山温泉で開かれた卒業30周年記念総会と懇親会の記録でした。一八会は結束が非常に強かったようで、54人の会員が出席したとあります。
ちなみに古い牧陵会名簿を見ると、卒業生は285人でした。
興味深いのは当時の学校生活です。旧制中学ですから修業年限は5年。1940年に入学して翌年には太平洋戦争に突入。教育環境はほぼ戦時色で塗り尽くされていたわけです。しかも男女共学になるのは戦後ですから、男子だけの牧陵世界。私の緑高生活とは雲泥の差があり、まったくの無知でした。
戦時下の様子の一端を会報は私たちに伝えてくれます。労作「在学中年表」からごく一部を抜粋します。年号は昭和。
・16年12月12日「宣戦に関する詔書奉読式(略)全校生伊勢山皇大神宮に参拝戦勝祈願をなす」
・17年2月16日「全校山下町方面に雪中行軍を行ふ」
・17年2月28日「第三、四限時に渡辺先生御指導の下に防空演習を行ふ」
・17年4月18日「正午過ぎ校舎上空に敵機飛来せるも本校に何等被害なし」
・17年8月24日「鎌倉方面にて三年生の野外教練を実施す」
・17年12月7日「午后横宝劇場に於て『ハワイ・マレー沖海戦』の映画を鑑賞す」
・18年1月14日「三原先生御入営につき朝礼時に送別式を行ひ、第四時限に全校生大和町迄御見送りす」
・18年2月「楠公銅像、金属回収運動のため撤去」
・19年7月15日「(この日)より日清製粉川崎工場および古河電工横浜工場へ長期動i員」

17年4月の「敵機飛来」は、米軍が太平洋上の空母から陸上爆撃機を放ち日本を初空襲するという離れ業で、戦局の大逆転を予感させた事件です。その爆撃機が母校の上を飛んだというのですから、在校生は歴史的な場面を目撃したことになります。
会報にはたくさんの思い出の写真や投稿のほかに、

一八会_20220625_0002

詳細な「在校時校舎見取図」や制服、生徒机のイラストも掲載されています。どれも大変な労作で、戦中の学校生活をビジュアルに知ることができます。 

18_20220625_0001 (2)
「在校時校舎見取図」

一八会_20220625_0001 (3)
[制服、生徒机のイラスト]

私が通った緑高は平和で豊かになりつつあった時代の男女共学校。三中時代とは置かれた環境の違いに断絶を感じます。しかし会報をめくるうちに、確かな柱が中18期と高15期を串刺しに貫いていることが分かりました。
例えば会報が紹介している応援歌集。「何分にも三十数年前の記憶をたぐってのことなので……」「校歌と違って印刷されたものは残っていないので……」と断った上で紹介していますが、どうしてどうして。
「ここ武蔵野の一角に」や「くろがねのをのこの腕」、「こちゃえこちゃえの優勝旗」などは歌詞にちょっとした違いはあるものの、まさしく私が緑高で覚えて歌ったものなのです。時代の断絶を越えて先輩から後輩へ連綿と口伝で継承されたのでしょう。
それに教師陣。年表の昭和16年4月7日にある「神里兵五郎、庄司泰久教諭就任式」の兵五郎先生は、私の3F時の担任でした。確か沖縄出身で、テストの最中に教室の後ろで密かに空手練習をしていたのを覚えています。
そして中18期の「国語担任グループ」の1人として写真に収まっている越次政一先生。兄の担任であり、私の国語の先生でもありました。別の科目で赤座布団を頂戴していた上に遅刻王だった私に「お前の兄貴は……」と、よく説教を垂れて下さったものです。
会報に目を通して、霧の彼方だった旧制三中の像がある程度焦点を結ぶようになりました。気になるのは一八会のその後です。この牧陵会HPの同期会サイトを訪ねてみました。
2008年の記事には、規約を改めて総会を廃止し懇親会に切り替えるという趣旨の記事がありました。一八会の事実上の解散でしょう。会員の方は健在なら95歳前後になるはずです。
今年3月発行の「牧陵」の奥付に編集陣の名簿が載っています。それによると、1年生が高76期。とすると今春入学の緑高生は77期となるわけです。
改めて気が付いてみれば来年が母校創立100周年とのこと。私も卒業してからずいぶん遠くに来てしまったものだと思いながら、さらに遠くにさかのぼる先輩方の足跡に感慨ひとしおでした。
               

画像の説明
掲載日:2022年 6月 28日
記事作成者:榎戸 隆(高校15期)
掲載責任者:深海なるみ

コメント


認証コード9407

コメントは管理者の承認後に表示されます。