高校12期会
緑高12期会【昭和35年3月卒業】卒業年度早見表
★牧陵会事務局からのお願い
住所が判明している方には、「牧陵新聞」等の牧陵会活動報告や、同期の幹事の方から同期会開催等のご案内状をお送りします。
牧陵会では、牧陵会活動への温かいご理解と、活動への積極的な参加をいただくため、宛先不明となっている会員の方々の現住所を確認する作業を進めております。
このリストをご覧になられたご本人から、あるいは、同期生の現住所をご存知の方は、移転先住所等の下記変更事項を牧陵会事務局までご連絡いただければ幸いです。
《ご連絡いただきたい事項》
【卒業期】・【氏名(旧姓も)】・【住所】・【電話番号】・【メールアドレス】等
※ 卒業期は、「緑高同期会」のページの早見表をご参照ください。
個人情報を一般に公開することはありませんが、同期会開催のために要請があれば、同期会幹事に提供する場合があります。
同窓会名簿は、インターネット回線に接続していないパソコンで厳重に管理しており、冊子としての名簿は、平成10(1998)年版以降、発行しておりません。
宛先不明会員の一覧表は、個人情報保護のため、お名前はカッコ内に1字のみ表記させていただきました。
牧陵会事務局
〒231-0027 横浜市中区扇町3-8-6
℡045-664-9020
e-mail bokuryoukai@gmail.com
12期同期会を開催しました
緑高12期同期会は、古希を過ぎてからは毎年開催です。
今年(平成26年)は、53名が出席し10月10日(金)午後4時より中華街・重慶茶楼で開かれました。
金井 省二の乾杯の発声で開宴。
石井 清からは、母校及び牧陵会の活動状況が詳しく報告され、更に遠方から駆け付けた入戸野 修(福島)、野田 忠(新潟)、秋山 隆昭(京都)、木村 純子(広島)から近況報告がありました。
加藤 恒雄による二胡演奏が終わり、会が盛り上がる中、出席者のテーブル間移動も活発となり、和気あいあいのうちに中島 晴代の中締めで閉会となりました。
来年は、10月13日(火)同時刻に同じ会場での再会を約し散会となりました。
末筆ながら牧陵会からの助成金に感謝申し上げます。
平成26年11月17日
記事作成者 幹事グループ代表:菅原 裕明
撮影者:塚田和美・藤田耕造
掲載責任者 向井信一(高校21期)
''牧陵会総会と黙とう
峯嶋利之(高12期)
今年の牧陵会総会も6月1日に波止場会館(大桟橋入口)で無事終了した。小生はいまでも総会にはできるだけ出席することにしている。川崎の奥に住んでいる自分にしてみれば、この機会に山下公園や大桟橋やイチョウ並木や教会や税関の塔などを見物していると昔の思い出がつまった友人に再会したようなもう一つの楽しみが味わえるからである。
総会の中味は盛り沢山で重量級の案件が多かったように見うけた。今年は母校創立90周年記念事業、校舎新築事業と牧陵会スペース(資料展示室)の準備、県下校歌祭の代表幹事高としての準備などが並行的に進んでいく。そのうえ、関連した寄付活動の展開も盛り込まれている。これだけの重い事業を成功させるには会長、副会長をはじめとする役員その他関係者だけに任せておけばよいというわけにはいかないような気がする。とくに、今年は広く他校がからむ行事も引きずっているだけに会員各自ができるだけ協力、支援して母校の伝統的評価を汚さないようにしていくことが肝要と感じられた。
もうひとつ、今年の総会で感慨を深くしたことがある。毎年の総会冒頭で物故会員へ捧げる黙とうは長い伝統をもち高齢会員を多くかかえる本校同窓会にとってはたいへん適切な配慮であると感じてきた。しかし、今年の黙とうは小生にはより深刻味を増したものであった。70歳古希を超えて間もない同期生がこの半年ばかりの間につぎつぎと物故したからである。しかも、三人ともが小生の承知するところでは若い頃柔道やサッカーで鍛えた骨格のしっかりした仲間だったからである。歳を重ねてからは鏡日出夫君が神官として、原田富士夫君が消防団長として、夏梅倶男君がPTA会長として地域のためにボランチア精神を発揮している話をきいたことがあり、黙とう中にはこのことが頭をよぎっていた。毎朝の新聞を開いて最初に眼を通す記事が3面下段の死亡記事になって久しい。そして、今日もあきずにここから目を通している。それだけ関心が高いということであろう。牧陵会も黙とうだけでなく、会員の訃報をホームページなどでどう取り上げか一考の余地があるかもしれない。そうすれば中高年会員のホームページ・アクセス数が増えることにつながるかもしれない。(了)
平成25年6月12日
掲載責任者 深海なるみ
52年前の卒業生答辞と校舎新築のこと ・・・・峯 嶋 利 之
今年も卒業式、入学式の季節がやってきた。いつの世でも出合いと別れは心にときめきと感傷をよびさます。この三月で70歳の大学定年をむかえた私も最後の卒業生を社会に送り出したあとは一市井人にもどる。いまは外洋航海を終えた小船が防波堤に守られた波静かな波止場に無事着岸できてほっとしているような心もちである。
昨年の古希(70歳)を境に老いのしたくがとみに気になりだしてきた。老後生活のリセットによかろうとまず手をつけたのがたまったアルバム、写真、辞令、賞状などの資料整理であった。さいわい息子も娘も独立して家を出ていったので、押入れや書棚に無雑作に積みあげられた資料をひろげておく床スペースは十分にある。しかし、いざ手にとると思い出がわいてきてどれも捨てる決断がなかなかつかない。資料のやまは思ったほどは減らず、部屋をのぞくたびに足の踏み場を気にする始末でいらいらがつづいている。
捨てるか捨てざるか大いに迷っている書類のなかから52年前(昭和35年3月1日)に私が卒業生総代として読んだ答辞の未定稿が出てきた。原稿用紙にインクペンで書いた私の草案を担任の故越次政一先生が鉛筆で手直ししてくれている。いま読みかえすと稚拙な文章は恥ずかしいかぎりだが、一つの再発見があった。当時の緑高卒業生が「新築校舎の完成」を思い出の一位にランキングしていた事実である。「今懐かしい思い出のページをひもときますと・・・まず第一は何といっても新築校舎の完成であります。入学当時の校舎は・・・朽ちかけた木造校舎でありました。」とある。また、在校生には「本校は新装なって今新しく生まれ変わったと言えましょう。校舎の若々しさ力強さに負けず、皆さんも・・・。」と語りかけている。校舎の新築は生徒に希望を与え、気宇をひろげる心おどるプロジェクトだったらしい。
往時の校舎も50年余の歳月をへて老朽化がすすみ、学校当局のお骨折りもあり建替えが進行中と承知している。牧陵会役員陣も知恵と工夫をこらしてこのプロジェクトを支援してくれている。豊かな時代の申し子である新しい校舎の新住人はどんな感慨をもって勉学にいそしむのであろうか。「緑のフェスティバル」の折にでもたずねてみようと思っている。
平成24年3月10日
記事作成者 峯嶋利之
掲載責任者 深海なるみ
秋の箱根路バスツアー・・・・・渋谷輝夫
「秋の箱根路バスツアー」 (2009,11,22)
貸切バスの中、話が翔んでいる。福島バスツアーの楽しい思い出、きのう遊びに来た孫の自慢話、尾瀬ハイキングでの失敗談、同期の消息などなど・・・・。気の置けない仲間どうしの会話、笑いが車内いっぱいに拡がる。後ろの席では女性グループが「箱根の山」をハモっている。
緑十二期ハイキング会では11月下旬の三連休の中日「貸切バスによる秋の箱根路めぐり」を行った。参加者は男性7名、女性8名計15名。バスは御殿場から箱根スカイラインへ。真っ赤に色づいた楓の林を車窓に見ながらゆっくりと登る。長尾峠で下車、秋色濃い富士の裾野の雄大なパノラマを眺め、箱根峠では、眼下の駿河湾と、はるかに続く伊豆の山々の展望を楽しむ。芦ノ湖々畔箱根町に下りて温かい「てんぷらそば」で昼食。午後は旅のメインの旧箱根街道のハイキング。滑りやすい道を足元に注意しながら「峠の茶屋」まで歩く。
帰路、高速道路の混雑が予想されたため、早めに横浜にもどり、関内駅の近くの居酒屋で反省会、心地よい疲れにアルコールが加わり、遠慮のない会話が弾む。暫し緑高時代にタイムスリップしたような楽しい反省会となった。日がすっかり暮れた頃に解散。店を出ると晩秋の冷たい風が吹きぬけていったが、心の中は何か暖かいもので満たされ、新しい思い出をたくさん積み重ねることができた一日となった。他の参加者もきっと同じ思いを抱きながら家路についたに違いない
緑高十二期ハイキング会は、本牧地区の緑高同期の仲間数人で行った近郊の山歩きがはじまり。その後年々参加者が増えて、最近では毎回15~20名が参加、年二・三回ハイキングやバスツアーを行っている。幹事は発足当時からのリーダーの原田富士夫君、および桃井宏君と渡辺(旧姓岡)絢子さん。足かけ約20年の間、毎回楽しく継続して開催できてきたのは、幹事の人柄と、三人の名コンビのおかげと会員一同心から感謝している。
同期の仲間は昭和十六年から十七年生まれ、戦後の原っぱで育ち、“もはや戦後ではない”と言われた昭和30年代前半に緑高に学び、高度経済成長への離陸期に社会人となった。激変する経済の中、それぞれの分野で活躍、“失われた十年”を経て、いま齢六十八歳、多くは現役を退き、子育てからも解放され、高齢化社会の入り口に立っている。自由な時間が増えた反面、交友の輪を新しく拡げる機会が次第に少なくなってきている。身体の健康とともに、真に心のふれあいのできる友人との交流は、老後の生活を活き活きと過ごすうえできわめて重要な要素になってきている。何も語らなくてもすんなりわかりあえる高校同期の会は“身体と心の健康を保つ”何ものにも代えがたい宝物としてこれからも大切にしてゆきたい。
「卒業50年目の笑顔、少し飲みすぎ?」
平成21年12月13日
掲載責任者 広報部 深海なるみ
先達 ・・・・・ 森 康悦
先達
今後牧陵会の針路で心配されるに評議員制度が今日迄同会の「組織議決権者」で有るにも拘らず当該制度を発展的解消に踏みきり、議決権者を総会参加者に委譲することである。抑、永い歴史を刻む牧陵会を顧みるに平成12年に組織発足を出発させた評議員制度は其れこそ先輩諸兄諸姉が、刻苦研鑽されたものである。過去総会の出席者多くが期幹事に委ねた為流動的であった。それを阻み総会延いては牧陵会のより再生を図るのに勇断設置された。それ以降同制度は更なる幅広い人的交流迄拡大し総会は自由闊達な気風が過り出席者が会員範疇に及んだことで活況となり、円滑に機能してきたのは周知である。先達は牧陵会の歴史を豊かにさせる未来志向に専念された。今日迄より感銘を与え続けてきたのである。
期は牧陵会の最大イベント「牧陵80コンサート」並びに「80周年記念祝宴」に各々最大級に参加致した。特に記念式典は期としては60名余の参会者が実現し、大会の雰囲気をより盛り上げそれが他の多くの期の交流にも結託会場は熱狂的になり興奮の坩堝と化した。牧陵会の友情・絆は今後同会の強力なシグナルであり連帯感が飛躍する。
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【「牧陵会だより」(平成21年7月1日発行)から転載】
2008年新年会
西沢渓谷、昇仙峡の旅 ・・・・・ 石井 清
西沢渓谷、昇仙峡の旅
平成17年10月22日、恒例の「緑12期ハイキング同好会」の一泊バス旅行を開催。男女各6名計12名が、幹事役の原田、桃井両君の手慣れた先導のもと、いつものアットホームなバスに乗り込み、第一の目的地、山梨・山富村の「西沢渓谷」を目指した。
あまり予備知識もなく渓谷に入り気楽に歩き始めたが、これがなかなかの難所で、約4時間かけて全員無事踏破。
道中の色々な滝、清流や緑の木々、下り道は細く、谷底を覗くたびに1抹の恐怖感を感じながらも景観を楽しむ余裕をもって全員無事下山。その夜は、石和温泉郷で渓谷歩きの疲れを癒しつつ、楽しい食膳を囲み、いつもながらの談論風発。
翌日は、日本一の渓谷美を誇ると言われる昇仙峡へ。
遊覧馬車のガイドのおじいさんの名調子に笑わせられながらの景勝観覧であった。
甲府はやはり葡萄。ぶどう狩り、そして昼食は葡萄棚 の下でのジンギスカン料理。
また、地元ワイン工場を見 学し試飲も楽しんだ。
一泊旅行は年1回だが、この会は年に数回開催されており、散策しながらの仲間との会話や食事を楽しむ12期の「愉快な集い」のひとつで、毎回楽しみにし ている。
木曽路の旅・・・・・菅原 裕明
木曽路の旅
平成16年10月10日、朝早い関内駅の楠広場に14名の同期生が集まった。いつもよりやや少な目か。バスは東名経由で大月から中央高速を通り駒ヶ根で一般道へ。古刹光前寺を参拝し、駒ヶ根高原美術館や水引の工芸館を見学した。雨模様のため天竜川船下りは中止となる。残念。夕刻、昼神温泉郷の宿に入った。ひと風呂浴びて宴会は原田が盛り上げる。彼の話がおかしくて爆笑の連続だ。カラオケともなれば、先ず夏梅。低音のビブラートに磨きがかかっている。松崎がノッてくると、まさに青春時代のまっただ中だ。森が歌い始めた。やはりおなじみの「長崎の鐘」だ。繆さんの持ち歌が終わると次は大トリ。桃井の歌と握手でお開きとなる。
2日目は旅の目玉、妻籠から馬籠まで8キロの峠越えだ。文豪藤村の名作「夜明け前」の舞台。檜の大木が生い茂る林の中、森林浴を楽しみながら馬籠峠を越える。あとは石畳の古道が馬籠の宿へと下っていく。
思えば還暦を過ぎて3~4年、皆、若ぶることもなく、気取らず、自然体だ。会えば元気や励ましをくれる。そんな仲間との付き合いをこれからも大切にしていきたいなと思いつつ、帰りのバスに乗り込んだ。
【「牧陵会だより」(平成17年7月1日発行)から転載】
明日も頑張ろうね。・・・・・山岸 美江子
還暦を祝っての盛大な同期会を終えて1年半。同期生諸氏は、それぞれ忙しく活躍されていることと思いますが。専業主婦で格別趣味も道楽も持ち合わせない私は、書くことを見いだせないので、今気になっている事を少し記してみたいと思います。
14年前、大きな手術をして心身とも弱っていた時、我が家に犬(メスのシェルティ)が家族の一員になりました。初めて室内犬を飼うので試行錯誤。ずいぶんと間違った対応をしてしまい、風邪を引いたり下痢をしたり。一日に3回の散歩はお互い何より楽しく、知らず知らず距離が伸びて、私はみるみる健康になりました。お陰で同期会のハイキングやゴルフ等にも参加させてもらえる様になったのは、思いがけないことです。
しかし、犬は人の数倍の早さで年をとります。11歳(人で言えばちょうど還暦)になったときには、原因不明の吐き気と下痢ですっかり衰弱してしまいました。それ以来3年、何かに付け吐き気は収まらず医者にも見放されました。医学の知識は無いものの同じ動物。人間用の胃薬に私の愛を注いで彼女に与え、小康を得ています。私の生き甲斐。今日も生きてくれてありがとう。
明日も頑張ろうね。
【「牧陵会だより」(平成15年7月1日発行)から転載】