牧陵会が管理・運営するホームページです。牧陵会会員の方ならどなたでも投稿・出展・掲示・告知などが出来ます。
ホームページの記事掲載・投稿・管理などお手伝いして頂ける方を募集しております。興味のある方は、お気軽に事務局にお電話ください。
横浜三中5期
★牧陵会事務局からのお願い
年2回(6月、2月)発行している「牧陵新聞」をお送りし、
牧陵会活動への暖かいご理解と、活動への積極的なご参加をいただくため、
宛先が不明の会員の方々の現住所を確認する作業を進めております。
同期の方の現住所をご存知の方、あるいは、このリストをご覧になられたご本人から、
牧陵会事務局までご連絡頂ければ幸いです。
牧陵会事務局
〒231-0027 横浜市中区扇町3-8-6
℡045-664-9020
e-mail bokuryoukai@gmail.com
齋藤彌太郎
浜の三中物語
5期生が入学したのは昭和2年4月。1年生から5年生までが揃った年です。初代校長は藤村与六・大校長で易学の大家の時代でした。配するに教頭は学校経営管理の達人で素封家の相沢平吉先生。生徒の大半は、浜生まれの浜育ち。日本最大の開港都市生まれの天下の浜っ子。当時の校舎は緑濃き浜の丘陵地帯、西に富士ヶ嶺、東に東京湾。背伸びをすれば、さらに東に太平洋も。谷を越えて向こうの丘には港の見える山手の丘。現存のフェリス女学院、紅蘭(現・双葉)女学校、女子師範学校などそうそう。
その頃火災が起きまして一山越して消火の手伝いに駆けつけたこともありました。運動会で杉田までマラソンを海岸伝いにやりましたっけ。
3年生の頃でしたか、同級生同士の喧嘩で刃傷沙汰もありましたのも港の荒くれどもの影響か。しかし男の堂々たる姿、しかも校風は品性高き三徳の知仁勇を教訓として紅顔の美少年でしょうか。
一詩
「寄・緑丘健児」
校訓知仁勇(校訓の知仁勇)
緑丘文化園(緑ヶ丘は文化の園なり)
精華輝國体(精華は輝く國体にして)
三徳貴和魂(三徳の和魂は貴し)
【「牧陵会だより」(平成17年7月1日発行)】から転載
※編集部から
齊藤彌太郎様は、既に故人となられましたが、現時点では、中学5期「最後のたより」として、
ホームページに掲載しました。(平成21年7月1日)
齋藤 彌太郎
昭和2年入学者150名
昭和7年卒業者131名
平成15年3月現在19名(不明者18名を除く)
同期生の会合開催は、春5月頃の集会と11月か12月頃の忘年会を兼ねた総会を実施しておりました。
現在、代表幹事は高橋幸三君、他に幹事として廣瀬文一君と大須賀匠君。会場は、5年ほど前から会員諸氏の自宅とし、希望者を募って開くように致しましたが、1昨年に高橋君宅を最後に取りやめました。14年度は、春の集会を本牧のホテルで行いました。
12月の忘年会は、一同相談の結果、近況報告を連絡しあって簡単に済ませ。下記の漢詩で締めくくった。
齢将垂九十 一睡夢壺中
未醒凡夫想 翼晴来老濠
(東韻五言絶句)
偶々愚生、昭和14年頃、当時の相沢教頭先生のご推挙で、修身公民科(校長先生担当)のお手伝いで、教練教師として教員室の末席を汚しました。人の師として師魂の三徳一誠を拙作。
師魂三徳
凡世師儒道(凡そ世に師儒の道)
知敦哲理豊(知敦く哲理豊かにして)
仁當虞弟意(仁に当たりては弟意を虞り)
勇且範明蒙(勇まさに蒙を明にするに範たるべし)
(當仁不譲於師 論語)
春が又 大正一桁 クラス会
【「牧陵会だより」(平成15年7月1日発行)から転載】